大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和31年(う)1314号 判決

控訴人 被告人 亀田柳太郎

弁護人 遠山丙市 外一名

検察官 磯山利雄

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対して、次のとおり判断する。

ところで、本件記録を精査し、原判決を仔細に検討勘案すれば、原判示事実は、原判決挙示の証拠により優にこれを証明することが出来、原判決にはいささかも事実誤認の違法は存しない。

而して道路交通取締法第一八条第一項は、車馬又は軌道車が狭い道路から広い道路に入ろうとする場合における所謂避譲義務を規定したものであつて、同条項所定の一時停車又は徐行は広い道路に在る車馬又は軌道車に進路を確実に譲る手段たるに過ぎない。されば、仮に一時停車又は徐行したとしても、広い道路に在る車馬又は軌道車に進路を譲らなかつた以上は、同条項に違反するのは論を俟たない。原判決が、原判示事実に対して道路交通取締法第一八条第一項第二九条第二号を適用したのは正にそのところであつて、いささかも法令適用の誤は存しない。所論は畢竟独自の見解であつて到底採用し難く、論旨はその理由がない。

仍つて刑事訴訟法第三九六条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 工藤慎吉 判事 草間英一 判事 渡辺好人)

遠山弁護人の控訴趣意

原審判決は本件につき、法令の解釈を誤つたことにより法令の適用を誤つたものであり、しかもこの誤が判決に影響を及ぼすことが明白でありますから、刑事訴訟法第三百八十条によつて、原判決はこの点において破棄せらるべきものと思料致します。

第一、原判決によれば、被告人亀田柳太郎の自家用自動車が「狭い道路(幅員一七、四米)から広い道路(幅員二二、六米)に入ろうとするとき一時停車するか又は徐行して広い道路にある小型乗用車に進路を譲らなかつたものである」として、道路交通取締法第十八条第一項を擬律して居るのであります。然し乍ら道路交通取締法第十八条第一項は、比較的交通頻繁でない交さ点に於て、一時停止の標識のない場合の徐行義務の規定でありまして、しかも広い道路に直進車のあるときは、一時停車又は徐行せずして広い道路にある直進車の進路の妨げとなつてはならぬとの趣旨であります。東京都の如き交通頻繁な場所に於ては、殆んど全ての交さ点に一時停止の標識を有することが普通でありますが故に、道路交通取締法第十八条違反の事件は、大半同法第二項の「一時停止の標識」のある場合、即ち広い道路に直進車の有る無しを問わずして、一時停止義務違反事由に該当する場合がその大部分を占める現状であります。

然るに本件交通事故現場の交さ点は、「一時停止の標識」の立つていた場所であることは証人大塚貞男の公判廷に於ける供述で明かであります。然らば本件は、道路交通取締法第十八条第二項の場合に該当すべき事件となりますが、且つ交さ点に於て被告人亀田柳太郎が一時停車し、且つ徐行したことは、同人の終始変らざる供述と証人大塚貞男並びに秋山熊吉の公判廷に於ける供述によつて明瞭であり、此の点は争いのない所であります。従つて、本件は道路交通取締法第十八条第二項の一時停止違反には該当しないのであります。

第二、原判決は上述第一点即ち被告人亀田柳太郎の自家用車が一時停車且つ徐行したことを認め、道路交通取締法第十八条第二項に該当しない為、ここに本件を第一項違反に擬律したものであります。

然るに道路交通取締法第十八条第一項は、前述の如く比較的交通頻繁でない交さ点に於て「一時停止の標識」のない場合であつて、且つ広い道路に直進車のある時の徐行義務を規定したものであつて、本件の如き「一時停止の標識」のある場合に該当しないのみならず、仮に事故当初広い道路に直進車があつたや否の争点を暫く置くも、一時停車且つ徐行して居ることは第一点で明瞭でありますから、道路交通取締法第十八条第一項違反に該当しないものであります。蓋し同条同項違反は、広い道路に直進車のある場合狭い道路より故意に一時停車又は徐行せずして当該直進車の進行を妨害したときに処罰せられる規定なるが故であります。

第三、原判決が被告人亀田柳太郎の行為を道路交通取締法第十八条第一項に該当するものとした所以を按ずるに、同条同項を以て避譲義務を規定したものと解釈せられ、一時停車又は徐行をすることは、進路を譲ることを確実ならしむる方法として規定したに過ぎず、主眼はあくまで進路を譲るにあるとの解釈に出でたものと思考致します。

然るに道路交通取締法第十八条は第十六条及第十七条に於て避譲義務を規定したものを受け、「前二条の規定にかかわらず」として第十八条第一項に徐行義務、第二項に一時停止義務を定めているものであります。

斯くして直進車のあるなしに拘らず、一時停車又は徐行が、交通安全を確保する所以なりとの法意に出たものと思料致します。即ち一時停車又は徐行こそ主眼であつて、進路を譲ることはその当然の結果であります。蓋し二台の互に直角に交さする車輌が同速度で進行するとき、一方が一時停車又は徐行するが故に、他方が進路を譲られることになるのであつて、若し一方が一時停車又は徐行することがなければ、当然両車は追突又は進路妨害の結果を来すので、停車又は徐行こそ主眼であつて、停車又は徐行が即ち他車に進路を譲ることになるのであります。進路を譲ることが主眼であるならば、広い道路に直進車がない場合は一時停車する必要も又ないことになり、然らば東京都の大部分の交さ点に一時停止義務が課せられていることを如何に説明することが出来ましようか。

偖被告人亀田柳太郎の自家用車が当該交さ点に於て、一時停車且つ徐行したのであることは第一点により明瞭であつて、交さ点を右折して尚徐行する間、後方より暴進せるタクシーが亀田柳太郎の自動車に接触したものであつて、これは聊かも一時停車又は徐行せずして、広い道路にある直進車に道を譲らなかつたものであると言うを得ないのみならず、原判示の如くこれをしも「一時停車又は徐行して、広い道路にある小型自動車に道を譲らなかつたものである」と言うが如きは、吾人の通常の論理過程を以てしては納得し得ざるところであります。

停止且つ徐行したことを認め乍ら、強いて「道を譲らなかつたもの」として道路交通取締法第十八条第一項を適用せんとするは、まさに本条の正当なる解釈を曲げるものでありまして、原判決は法令の解釈に誤りがあり、従つて法令の適用を誤つたもので破棄せらるべきものと断ぜざるを得ません。

第四、本件交通事故の当日は夜間(午後十時四十分頃)にして、しかも相当量の降雨のため視界は充分でないのに拘らず、屡々社会の非難の声を聞く如く東京都下タクシー業者の無謀運転の例にもれず、当夜広い道路を直進する山口和雄の小型自動車は、時速三十二粁を飛ばしていたのであります。同人の証言に曰く「私が右側をもう少し注意してみていたら早く自動車を発見したかも知れません。二、三米右側で発見した為慌ててハンドルを左に云々」とあり、明瞭に被告人亀田柳太郎の自動車が右折して徐行する後方より、自己の車輌後部フインダーを以て被告人亀田柳太郎の車輌前部フインダーに接触、破損を与えたものであります。

以上のことは、広い道路の直進車に道を譲ると云うが如き問題には非ずして、証人山口和雄の安全操縦義務違反を物語るに充分であります。果せるかな証人山口和雄は道路交通取締法第八条によつて処断せられたのであります。

第五、之を要するに被告人亀田柳太郎の所為は、具体的事情に於て最も往来の危険性のない方法にて、即ち降雨中の深夜運転に当り時速十粁をもつて当該交さ点にて一旦停車し、且つ右折後徐行したものであつて、原判決は此の停車且つ徐行を認めつつも、尚且つ避譲義務違反として、被告人亀田柳太郎を道路交通取締法第十八条第一項に該当するものとしたのは、法令の解釈を誤つたことより法令の適用を誤つたものであり、しかもこの誤りが判決に影響を及ぼすことが明白でありますから、原判決はこの点に於て破棄せらるべきものであり、ここに無罪の判決を賜り度く控訴致す次第であります。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例